未来優駿2013 - 予想王TV@SANSPO.COM

未来優駿2013

 10月21日から31日にかけて、全国の2歳重賞を集中施行する『未来優駿2013』が行われる。今年は全7レースが予定されており、文字通り若駒たちが未来の栄光を目指してしのぎを削る。フレッシュスター誕生の瞬間を、絶対に見逃すな!

 全国の2歳重賞を短期間で集中的に行うシリーズで、2008年からスタート。6年目を迎える今年は10月21日の若駒賞(盛岡)を皮切りに、7レースが組み込まれている。

 全日本2歳優駿(12月18日、川崎、交流GI、ダ1600メートル)を頂点とした2歳交流重賞への出走意識を高めることが目的だが、ファン目線では各地区の勢力図を把握しやすくなったことが大きい。来春の各地区のクラシック、そして文字通り未来へ向けて、欠かすことのできないシリーズとなっている。

       

       



若駒賞(盛岡)10月21日

 1981年創設。99年まで特別戦として行われ、2000年から重賞として行われている(07年のみ特別)。特別時代は距離変更が多く行われてきたが、重賞格上げ以降は盛岡ダート1600メートルで固定されている。



ライズラインが逃げ切り快勝!

 小林俊彦騎乗、2番人気に推されたライズラインが、好スタートからハナを奪うと、直線に入っても終始2番手を追走した1番人気のラブバレットを寄せ付けず2馬身半の差をつけ快勝。重賞3戦目で待望の初タイトルを獲得した。タイムは1分37秒2(重)。2着からさらに6馬身離れた3着にはシグラップロードが入線した。

 ◆小林俊彦騎手「好スタートを切ることができたので逃げの手に出ました。自分から動いて早めにスパートをかけましたが、それで良い反応をしたので勝てるかなと思いました。強めの調教をこなして息が持ったのが一番の勝因でしょうね」



本紙の狙い

 本命はビギナーズカップを5馬身差で圧勝したラブバレット。唯一の敗戦は芝が合わず6着に敗れた若鮎賞のみで、引き続きダート戦なら中心は不動。現時点での完成度で他馬を大きく上回っており、重賞連勝の期待がかかる。
 2番手評価はライズライン。前走のジュニアグランプリは強力なホッカイドウ勢を相手に2着と好戦。どちらかといえば芝の方がいいタイプかもしれないが、3走前のダート1200メートル戦でラブバレットと僅差の競馬を演じているように能力値は相当高い。相手に最も有力な存在だろう。
 3番手評価にはシグラップロード。ダート戦は3勝2着1回と崩れなしで、前走のビギナーズカップはラブバレットの2着。5馬身の着差を考えると逆転までは厳しそうだが、幅のある脚質でどこからでも競馬ができるのが大きな強み。上位争いに加わってくる可能性は極めて高そうな1頭。
 目下2連勝中のワタリキングオーも怖い存在。末脚を生かすタイプだけに距離延長も全く問題なさそうだし、有力馬を見ながら競馬を進められるのも魅力。先行勢が崩れるようなら直線一気に浮上してくる。
 他では安定度抜群のステージアートが侮れず、一発なら近親ウオッカという良血のバラライカか。




主な優勝馬

 85年トウケイフリート(東北サラブレッド大賞典、みちのく大賞典、北上川大賞典、桐花賞、不来方賞など)、95年サカモトデュラブ(東京盃、早池峰賞、新潟3歳S3着など)、05年アテスト(全日本2歳優駿2着など)、09年ロックハンドスター(桐花賞、ダービーグランプリ、南部駒賞など)



過去の名馬:サカモトデュラブ

PHOTO  若駒賞は重賞となってから今年で13回目だが、特別戦時代を含めれば33回の歴史を誇る。その特別時代の1995年に、このレースを制したのがサカモトデュラブ。のちに東京盃を勝った、稀代の快速馬だ。
 デビューから2連勝でこのレースに臨み、単勝1番人気に支持された。1~2コーナーの中間点からスタートする、旧盛岡1420メートル。6頭立ての5番枠だったが、卓越したスピードでハナを切り、2馬身差で勝利した。その後、JRA新潟のダリア賞で2着、新潟3歳Sで3着に逃げ粘り、中央の芝でも互角のスピードを見せつけた。
 しかし、その後は案外な結果が続き、地元条件戦でも苦戦を強いられた。ただ、そのスピードだけは健在で、交流重賞でも果敢にハナを奪う姿が印象的だった。
 そのひたむきさが結果として表れたのが、99年の東京盃(大井)だった。最内枠を利してハナを切ると、テンの3ハロン34秒2の軽快なラップを刻む。最後にJRAのビコーミニスターが迫ってきたが、それをクビ差だけ振り切って交流重賞初制覇を果たした。97年にもカガヤキローマンの2着があり、このレースとの相性の良さを示した。
 ただ、その後は惨敗が続き、翌年の東京盃でも12着。移籍先の高知でも条件戦で勝利を挙げるのみにとどまり、03年12月のレースを最後に引退した。通算104戦16勝。重賞勝ちは東京盃のみだったが、その記録以上に記憶に残る“韋駄天”だった。