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2022.2.22 05:00

【さらばホースマン・特別編】藤沢和雄・蛯名正義スペシャル対談~前編

美浦トレセン内で対談する藤沢和調教師(左)と蛯名正調教師。競馬史に名を残す両者が思いを語った

美浦トレセン内で対談する藤沢和調教師(左)と蛯名正調教師。競馬史に名を残す両者が思いを語った【拡大】

 中央競馬史上2位の通算1568勝を挙げ、今週末の競馬を最後に定年を迎える藤沢和雄調教師(70)=美浦=と、騎手時代に史上4位の2541勝を挙げて調教師に転身し、3月に厩舎を開業予定の蛯名正義調教師(52)=美浦=のスペシャル対談が実現。日本を代表する2人のホースマンは、それぞれの人生の節目を前に何を思うのか。前後編でお届けする。(取材構成・内海裕介)

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 --藤沢和調教師は34年の調教師生活が今週で幕を閉じる

 藤沢和調教師(以下藤沢) 「本当に早かったね。おかげさまで最後まで期待されるような馬を管理させてもらった。いい緊張感でやらせてもらっています」

 --蛯名正調教師は藤沢和厩舎で研修した

 蛯名正調教師(以下蛯名) 「本当にありがたかったです。今の調教師さんは(自分より)若い人が多いし、勉強させてくださいって僕みたいな人に言われたら使いづらい(笑)。そこを先生が察してくれて」

 藤沢 「古くからの知り合いだからね。でも、思ったほど早く試験に受からなくて」

 蛯名 「4年いました(笑)」

 --2人は1996年にバブルガムフェローで天皇賞・秋を制覇

 藤沢 「当時としては馬が良かったし、よく調教もされていたから、若くて強気な騎手に乗ってもらったらいいと。見ての通りの強気な競馬で納得しました」

 蛯名 「僕はまだGIを勝っていなかったし、それで指名してもらったのだからチャンスをつかみたい、それだけでした。今と違い、3歳馬が挑戦するのはひとつの賭けという時代で」

 藤沢 「お父さん(サンデーサイレンス)もお母さん(バブルカンパニー)も長距離を走る馬(子供)がいなかったですからね。サンデーサイレンスは調教師にも、馬産地全体にもいいヒントを与えてくれた。現役時代、一度も芝を走っていないけど、スピードのある馬は芝でも関係ないということ」

 --その天皇賞当日、藤沢和師はブリーダーズCクラシック挑戦(タイキブリザード13着)でカナダにいた

 藤沢 「最初は私も若いから海外に憧れていたけど、馬は強いし、賞金は安い。それでも挑戦させてもらったけど、苦労したよね。速くなきゃ、スピードがなきゃ、ということが一番。つくづく思いました」

 蛯名 「海外は僕も競馬学校のときから憧れていました」

 藤沢 「凱旋門賞は惜しかった(99年エルコンドルパサー、2010年ナカヤマフェスタで2度の2着)」

 蛯名 「かけがえのない財産ですね。先人もたくさんいますけど、あの挑戦で日本の競馬が一歩進んだ部分もあるのかなと思います」

 藤沢 「みんな挑戦するようになって、ずいぶんと近いレースになった。引退が決まっていたので無理だったけど、私の馬ではシンボリクリスエス。彼以外に行きたいと思った馬はいなかったね。他の馬たちは速い馬だったから」

 --その速い馬のタイキシャトルでフランスのGI(98年ジャックルマロワ賞)も勝った

 藤沢 「米国産馬でヨーロッパで勝たせてもらったことは、私自身にとってもすごく大きかった。いろいろとわがままを言わせてもらったけど、こうして勝てたのもその時代、その時代の馬主さんたちにたくさん応援してもらったおかげなのでね。うまくいったときより、失敗したなってときが圧倒的に多いし、大成させられなかった馬を今でもふと、思い出したりしますよ。次、調教師をやるときは、もう少しみんなの期待に応えられると思います(笑)」(続く)

■藤沢和雄(ふじさわ・かずお) 1951(昭和26)年9月22日、北海道生まれ、70歳。実家はテンメイ(78年天皇賞・秋)などを生産した藤沢牧場。88年に美浦で厩舎を開業。93年マイルCS(シンコウラブリイ)での初制覇を皮切りに昨年のマイルCS(グランアレグリア)までグレード制以降で最多のJRA・GI34勝。21日現在、JRA通算1568勝は尾形藤吉元調教師に次いで史上2位。重賞は126勝。

■蛯名正義(えびな・まさよし) 1969(昭和44)年3月19日、北海道生まれ、52歳。87年騎手デビュー。同期に武豊騎手らがいる。歴代4位となるJRA通算2541勝(重賞129勝、GI26勝)。21年に調教師試験に合格し、同2月末で騎手を引退。3月に美浦で厩舎を開業予定。

《後編》に続く

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