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2021.12.6 15:01

【リレーコラム】東京サンスポ~昔は東京競馬場でも右回りのレースがありましたby片岡

東京サンケイスポーツの片岡良典記者

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 大井競馬場では11月19日の12R(Make New Way賞、ダ・外1650m)で初めて左回りのレースが行われ、御神本訓史騎手が手綱を取ったバーブル(大井・辻野豊厩舎、牡4歳)が記念すべき勝利を収めた。大井は1950(昭和25)年に開場してから右回りでレースが行われてきたが、現在では世界で唯一、左右両回りでレースを実施する競馬場となっている。

 過去には日本で左右両回りの競馬場が存在したのだろうか? 調べてみるとあった。37年前の1984(昭和59)年11月11日までJRAの東京競馬場で左右両回りの競馬が行われていたのだ。設定条件は芝1200メートルで、もっと昔は芝1000メートル、1100メートル、ダート1000メートル、1100メートル戦も行われていた。左回りでは短距離戦は最初のコーナーが近いため設定できない事情があったためだが、昔と違って2歳戦も長めの距離が多く実施されている現在は必要がなくなったということだろう。

 短距離戦の設定だったので主に3歳(現2歳)の新馬や未勝利戦が組まれることが多かったようだ。ともにゴール板は左回りの残り200メートルに設置され、芝は向こう正面からスタートして2000メートルの引き込み線を逆に走っていた。

 東京の右回りのレースを経験した著名馬も多く、主なところではハイセイコーのライバルだったタケホープ(1973年ダービー、菊花賞、74年天皇賞・春)は芝1100メートルの新馬戦を勝っている。ちなみに東京最後の右回りの新馬戦を勝ったのはダービータクト(美浦・山岡寿恵次厩舎、牡)で鞍上は的場均騎手(現調教師)だった。

 美浦・杉浦宏昭厩舎の木幡初広調教助手も騎手時代、デビューした84年11月3日に芝右回りの1200メートルの未勝利戦をグッドシチー(美浦・内藤一雄厩舎、牝)で勝っている。「デビューした若い頃だったけど、好位から抜け出して勝ったのよく覚えている。コーナーに関しても、急カーブではないので特に乗りづらさなどはなかったが、左回りと違って直線は短かったよね。左回りだとゴールに向かって坂を上がっていくが、右回りはゴールに向かって下り坂になるんだけど(勝負どころで)必死に追う段階なのであまり気にしたことはなかったよ」と木幡さんは振り返った。

 右回りの設定があった影響かどうかは定かではないが、左回りの競走でジョッキーがゴール板を誤認して追う動作をやめてしまい、制裁を科されるケースもしばしばあったようだ。

 大井では今後も左右両回りでレースを続けていくようだが、JRAの場合はコース上に坂や勾配がある競馬場が多いので、近いうちに大井のように左右両回りを再開するというわけにはいかないだろうと記者は推測する。

 コロナ禍で大井競馬場は久しく訪れていないが、一日で左右両回りのレースを見られるというのは面白い。この先、大井の左回りがめっぽう得意という馬も出てくるだろう。百聞は一見にしかず。中央、地方問わず、これからもいろいろな形で競馬を楽しみたい。

片岡良典(かたおか・よしのり) 東京サンスポ記者 

取材・直感

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プロフィル

1968年生まれ、京都出身。3年間の牧場勤務を経て、94年3月から関東競馬エイトの想定班でデビューし、2001年5月から東京サンスポに移籍。現在は若手に「働け~」と檄(げき)を飛ばしながら自身も老体にムチ打つ? 目標は水戸万助先輩のように70歳まで現役記者!

予想スタイル

子供の頃から根っからの競馬オタク。これが案外武器になる。コテコテの関西弁で昭和の匂いを漂わせながら「どうなん? ええの? 勝負になるの?」とせっせと独自のスタイルで取材を重ねる浪漫人情派。勝ってほしい馬に◎が本音。馬券は単勝、複勝が基本であとは馬連を少々。

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