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2021.11.22 09:00

牧場長から僧侶へ異色の転身~エルコンドルパサーを知る男、国分二朗さん

埼玉県・常泉寺の僧侶、国分二朗さん。かつては多くの名馬の育成に携わった

埼玉県・常泉寺の僧侶、国分二朗さん。かつては多くの名馬の育成に携わった【拡大】

 “馬のお坊さん”を自称する人物がいる。埼玉県さいたま市見沼区にある常泉寺の僧侶、国分二朗さんだ。19日に52歳を迎えた年齢だが、仏門に入ってからは日が浅い。それまでは、競走馬の育成に携わっていたという異色の経歴の持ち主だ。

 生まれは埼玉県。競馬とも寺院とも縁のない家庭に育った。進学していた大東大ではアメリカンフットボールにのめり込む日々。その結果、進級が怪しくなった。父には卒業できないなら退学を、と勧められた矢先に、日本軽種馬協会が立ち上げた生産育成技術者研修の存在を知る。たった1通、何の面識もない調教師に手紙を書いたところ、親切に返信があって進むべき道が定まったのだ。

 「これで親から離れられるな…というくらいの気持ちでした。競馬ではなくて、馬が好きだったんです。馬の写真集を見ていたくらいでしたので」

 サラブレッドと何の接点もないまま、いきなり競走馬の世界に身を投じた。周りにいたのは牧場経験のある若者ばかり。研修を終えた後の行き先が決まっている小柄な“馬乗り予備軍”だらけの中で、アメフトで鍛え上げた体格も明らかに異彩を放っていた。

 初めて乗った馬の背中。感想を聞かれると「怖いです」と素直に答えた。意外にも教官からは「お前、うまくなるぞ」の返答。半年間の研修期間で、基礎を必死に身につけた。

 勤務先は静内(現・新ひだか町)と千葉に拠点を持っていた名門の出羽牧場。就職した直後に、アイルランドへの研修に行けるという話が魅力だった。

 「10人くらいで行くと聞いていたのですが、蓋を開けたら1人だけ。牧場で2、3日挨拶をしたくらいで、すぐアイルランドに行かせていただきました」

 もっとも、海外研修に魅力を感じたとはいえ、英会話の心得はなく、成田空港で英会話集を購入して飛行機に乗ったほど。搭乗機のCAがあまりの無鉄砲ぶりに不安を感じたため、入国手続きや乗り換えに付き添ってくれたという。「ついてきてもらって助かりました。運が良かった」。若き挑戦者がスムーズにたどり着けたのも、運命だったのだろう。

 研修先は、名門キルダンガンスタッド。本場の馬に対する扱いをたたき込まれ、「プライドがボロボロになるくらい」の失意を味わった。当初は、地道な厩舎作業に専念する日々。黙々とやっていれば、いつか認められるだろう…という日本人らしい心構えで働いていたが、あるとき「お前は何をやりたいんだ?」と聞かれた。馴致(じゅんち)を学びたいという希望を伝えると、「それなら自分から言わなきゃ駄目だ」と忠告を受ける。同じように、「辞書を持ち歩くこともやめろ」と助言され、日本語を一切話せない環境に身を置いた。滞在期間の後半は、ジョン・オックス厩舎での研修。その後、多くの日本人を引き受ける名伯楽だが、当時はまだそういう環境ではなかった。

 「馬しかなくて、休日は何をするは困っちゃうくらい。そういう環境になると、英語を覚えるのは早かったですね。だんだんしゃべれるようになって、少ししたら日本語の方がおかしくなっていました」

 笑いながら振り返った半年間のアイルランドの滞在も、最後は現地スタッフに「残って仕事をやろう」と誘われるほどに。後ろ髪を引かれつつ帰国すると、文化の違いを感じることになる。なぜなら、日本では技術研修を受けただけで、実際に牧場で勤務をしないままアイルランドへ渡っていたからだ。

 「そもそも日本の競馬をあまり知らなかったですし、ビジョンもなかった。そのうえ、ラチのないところで1キロもある馬場を乗っていたのに、1周600メートルもない狭い馬場でしたから」

 そうしたハード面の差に加えて、当時は牧場を訪れる調教師の姿勢も違っていた。厩舎に馬を“入れさせてやる”というスタンスが少なからず見受けられ、牧場に来場しても飲食の接待を受けることが主目的のようなベテラン調教師も…。そんな環境に戸惑いながらも少しずつなじみ始めた矢先に、強烈な出会いが待っていた。見慣れない軽トラックから現れた人物が、馬に乗っている国分さんの姿勢に文句をつけてくる。誰かと思えば、開業して間もない頃の二ノ宮敬宇調教師だった。

 「驚きましたよ(苦笑)。自分の管理馬でもないのにあれこれ口を出してきて、しまいには自分で乗って見本を見せるんですから」

 しかし、毎週のように来場する若きトレーナーの真剣な姿勢と競馬への熱量は、心に深く突き刺さった。さらなる技術習得のため米国への渡航を志し、国分さんは牧場を退職。帰国後、二ノ宮師の預託馬を手掛ける育成牧場の立ち上げに場長として加わった。

 歯車がかみ合った厩舎と育成牧場の効果もあり、オープン馬が次々と誕生。その中に、エルコンドルパサー(写真=エルコンドルパサーと国分さん)がいた。「本当に手間がかからなくて、脚元も心配がないし、GIを勝った後でも、いい意味で緊張感を持たなかった馬ですね」。そんな“超優等生”と対照的に、世界に羽ばたいたもう一頭のナカヤマフェスタは「とにかく、人馬とも無事で帰ってくることが牧場では最優先でした」というほどの気難しさに苦労した記憶が残る。それでも、尊敬するトレーナーの下でチームは結束した。

 「無駄と思えることも全部やろう。ハナ、アタマ差を補おう、というのが先生の考えでした」

 モンジューに半馬身差で敗れたエルコンドルパサーのリベンジを期して臨んだ2010年の凱旋門賞だったが、アタマ差で2着。またも夢は破れた。しかし、その後もレインボーダリア、ショウナンアデラ、ディーマジェスティといったGI馬の育成に携わり、二ノ宮調教師も「彼がいたから、あれだけのことができた」と国分さんの献身的な働きに感謝している。

 時は流れ、年齢を重ねていくうちに育成場を自身で経営する方向に傾いたが、「それまで楽しく、自由にやらせてもらっていたことに気付きました。経営者となると、そうもいかないんだな…と」。ふと立ち止まって自身の行く先を考えていたとき、寺院に生まれ育った妻が口にした「修行でもしてみたら?」という言葉が背中を押した。

 「本気にするとは思っていなかったみたいですが、ストンと腑に落ちたんです」

 50歳の大台を前にして、僧侶への道を選択。2年に及ぶ修行の期間は、20歳以上も若い教育役から厳しく心得をたたき込まれることもあったが、心に決めた進路が揺らぐことはなかった。現在は常泉寺の納所を務めるかたわら、茨城県牛久市にある一般社団法人ヒポトピアで、ボランティアとしてホースセラピーに携わりつつ、レースや調教で命を落とした競走馬の供養をすることを僧職として望んでいる。

 「競馬場では馬が亡くなってもじっくり悲しむことができないケースがありますし、やらせていただけるなら、馬に寄り添った供養をしたいと思っています。馬に恩返しをしたい、という気持ちです」

 かつて何度も足を運んだ美浦トレセンで、命を落とした馬の供養をすることができた。意を決して踏み出した進路はまだ道半ばだが、新たな世界を切り開いているのは間違いない。トップクラスの競走馬たちと接してきた“馬のお坊さん”は、これからも心を込めたお経を唱えて、人と馬に接していく。

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■国分 二朗(こくぶ・じろう)1969年11月19日生まれ、52歳。埼玉県出身。大東文化大中退後、牧場での勤務と海外研修を経て、「ドリームファーム」など育成牧場の場長を務める。曹洞宗大本山永平寺東京別院での修行を終え、埼玉・常泉寺で納所となる。サラブレッドのあるあるなどをつづるツイッターアカウント(@JIRO59B)、日常に仏教の教えをリンクさせた軽妙な筆致のブログ「人馬一体」を更新中。

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 国分さん(写真=右手前)がボランティアとして協力している茨城県牛久市の一般社団法人「ヒポトピア」は、乗馬クラブであるとともに、馬を通じて児童の発達を促すホースセラピーにも取り組んでいる。のどかなエリアの敷地にはプレストシンボリ、ショパン(エアグルーヴ最後の産駒)といった中央競馬での活躍馬のほか、多種の馬が在籍。乗馬インストラクターでもある小泉弓子代表のもと、児童や障がい者が馬と触れ合うことで身体的、精神的、社会的な生活を向上させることを目的に活動している。詳しくはホームページで。

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