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2019.6.26 12:02

【藤代三郎・馬券の休息(92)】テント切り事件とクギまき事件~東京競馬場の歴史を紐解く~

週刊Gallop誌上で好評連載中の作家・藤代三郎氏が、競馬にまつわる日常を氏のユニークな視点で綴る「馬券の休息」

週刊Gallop誌上で好評連載中の作家・藤代三郎氏が、競馬にまつわる日常を氏のユニークな視点で綴る「馬券の休息」【拡大】

 『多摩史拾遺記』という本がある。東京府中市役所が昭和47年に出した本である。非売品だ。

 多摩の歴史を「幾許なりとも後世に残したい」と作られたもので、巻末に「東京競馬場開場当時の思い出」という座談会が載っている。当時の東京競馬場長を始め、在郷軍人会副会長、府中市長に助役、当時の青年団長らが出席している。

 周知のように、東京競馬場が開設されたのは昭和8年。この座談会は昭和43年に行われているから、その開設から35年後。当時30歳の人でもまだ65歳である。これなら、開設当時のことを知る人がいても不思議ではない。

 興味深いのは、外国の競馬場を視察して、模範的な競馬場を新しい土地に作り上げようと考え、大正14年6月に関係者がオーストラリアに視察に出かけたことだ。で、いくつかの競馬場をまわり、ウォーウィック競馬場の型が日本の競馬場の設計に適当と考えられて、そこの設計書を貰って帰国したという。 ネットで、その「ウォーウィック競馬場」を調べてみると、シドニー郊外に「ワーウィックファーム競馬場」というのがあり、おそらくこの競馬場のことと思われる。

 ネットには、スタンドの写真が掲げられていたが、東京競馬場のスタンドに似ているかなあ。そう言われればそんな気もするが、よくわからない。

 それと目黒から移転するにあたって候補地が幾つかあり(いまは空港になっている羽田の埋め立て地、いまはゴルフ場になっている小金井など、全部で十数カ所)、その中で府中に決定した理由として安田会長の言葉が紹介されている。

 なんといっても競馬場には水、水質が一番良質であること。多摩の横山の下を流れる多摩川の水が飲料水には非常によい水質であるということで、あのころは水道もありませんし、まず水が豊富で水の質が良いということが一番の大きな要件じゃなかったかと思うのです。それから競走馬に食べさせる青草が周辺に十分ありましたし、こんな条件のところは他になかなか見当たらない。

 新競馬場の候補地が本決まりになってから見に行った関係者の証言も載っている。それはこんなふうだ。

 今の京王電鉄の競馬場正門前駅の高地に立って見て、まず驚いたことは、多摩川をはさんで、南側には背景に、多摩の横山が連なり、富士山は、遙か西側に丹沢連峰の上にくっきりと、浮かび出て、なんともいいようのない、よい景色でした。それにこの高地のすぐ下(いまの駐車場のところ)には清水がこんこんと湧き出ていまして、それを利用してわさび畑があったりして、いい場所だなあと思ったことがあります。

 スタンドをどちらに持っていくかという話になったとき、町の有力者から町に近いほうに建ててくれとの要請があった、という証言もあり、これも興味深い。

 しかしいちばんは、反対する人たちもいたという証言だ。これまで東京競馬場に関するさまざまな書を読んできたが、反対運動について触れた文章をここで初めて読んだ。地鎮祭の朝にテントがずたずたに切り裂かれていたり、開催が始まってからもクギを巻かれたりしたようだ。府中松竹座で反対同盟の集会も開かれたという。

 この府中松竹座は、もともとは旭館という公会堂だったが、昭和初期に映画館になり、松竹座と名称を変更する。その後、府中文化劇場と名前を変えて洋画を公開していたが、昭和35年に東映の系列館となり、昭和40年代後半まで続く。

 いまは、府中駅前の「くるる」を抜けて競馬場に向かうとき、最初の交差点の右角にファミリーマートがあるが、そのあたりにあった映画館である。

 同じ書に「三多摩農民運動を語る」という座談会が載っていて、そこに「府中座」というのが出てくる。これは映画館ではなく、芝居小屋だったらしいが、「松竹座」とは別のようだ。その場所は「今の玉村屋米店と鳥国の間を入った中にあった」とあるが、この「今」とは昭和44年ごろのことである。府中に昔からお住まいの方ならご存じかもしれない。

藤代三郎(ふじしろ・さぶろう)

 1946年生まれ。本名・目黒考二(めぐろ・こうじ)。明治大学文学部卒業後、76年に作家・椎名誠氏と書評誌「本の雑誌」創刊。ミステリーと野球とギャンブルをこよなく愛す。藤代三郎のほかにも群一郎、北上次郎など複数のペンネームを持ち、評論、執筆活動を幅広く展開。著書に「本の雑誌風雲録」「活字三昧」(いずれも目黒考二)や「冒険小説論」(北上次郎)。「戒厳令下のチンチロリン」や週刊ギャロップに創刊より連載している「馬券の真実」をまとめた「外れ馬券は人生である」などの“外れ馬券シリーズ”は藤代三郎として発行している。