【さらばホースマン(4)】伊藤正徳師、“伊藤流”51年の集大成

2019.2.22 05:02

 今月末で定年を迎える調教師8人の足跡や思いを伝える「さらばホースマン」。最終日は騎手としても調教師としても活躍した伊藤正徳調教師(70)=美浦=と、40年以上にわたるトレーナー生活を全うする中村均調教師(70)=栗東=が登場する。味わいのある2人のベテランが、定年を間近に控えた心境を語り尽くした。(成績は21日現在)

 伊藤正調教師が半世紀あまりのホースマン人生に幕を降ろす。厩舎の前で仁王立ちになり、運動中の管理馬を見つめる光景も今週が最後だ。

 「私のやり方は伊藤流。昔、尾形(藤吉)先生がやっていたことをだんだん咀嚼(そしゃく)できて、調教の内容も変わっていったけれど、それは昨日今日じゃ分からない。昔、こんな馬がいたな…って思い出しながら、やっていくうちにその人の流儀ができていくんでしょう」

 父・正四郎元騎手の勧めで騎手の道に進んだのが1968年。名門・尾形藤吉厩舎で活躍し、77年には同期の柴田政人、岡部幸雄、福永洋一らに先んじてラッキールーラでダービーを勝ち、父との2代制覇を果たした。88年に厩舎を開業し、99年には「一番思い出深い馬」というエアジハードで安田記念に優勝する。

 「とにかく気性が激しい馬で、ゲートも当時、橋本広喜(現調教助手)がつきっきりで手伝ってくれた。安田記念のときは蛯名(騎手)が本当にうまく乗ってくれた」と目を細めるが、苦い記憶も頭から離れない。「秋のマイルCS(1着)も強かったけれど、充実し切っていたぶん、こっちが慢心してしまった」。続く香港遠征では、レース直前に屈腱炎を発症して、そのまま引退。「もともと心配だった脚をやってしまったんだから…」と現在まで自らを戒めてきた。

 今でも年に一度は集まるという“花の15期会”の仲間、そして後輩たちと縁に恵まれた半生で、忘れられないのが2003年&07年の中山記念をローエングリンで勝つなど活躍したまな弟子・後藤浩輝(元騎手)のことだ。15年2月にこの世を去って間もなく4年がたつ。「今でも、スッと厩舎玄関を開けて入ってきそうな気がするときがある。うちの子供たちとみんなで食事していたときのことなんかを思い出すんだ」と懐かしむ。

 さまざまな経験を味わったこの世界。「騎手になったときも、レコードを出したとき(80年には『おれでよければ』が10万枚のヒット)もそうだけど、おれは結構成り行き人生なんだよ」と笑うが、与えられた道を“おれでよければ”と伊藤流でひたむきに歩んだ51年間だった。 (内海裕介)  =おわり=

 ◆同期の岡部幸雄氏 「同期で最初のダービージョッキーだからね。あのときは同期がみな、次は自分だと刺激を受けたんじゃないかな。調教師になってからは(騎手として)少しでも力になれればという気持ちで接したけれど、ローエングリンなどを依頼されたのはいい思い出。長い間、お疲れさま」

★同期の2人へ

 伊藤正師は同期の好敵手についても振り返った。「みんな逆に思っているようだけど、岡部が努力の人、柴田は天才肌、というのが本当なんだ」と分析。「酒量がかさんで体調に問題があっても結果を出してしまうのが政人。落馬で大けがをした後の、幸雄のリハビリなどに時間をかける様子には頭が下がる。でも、競馬に向き合う姿勢は二人とも実に真摯(しんし)だった」と述懐した。

伊藤 正徳(いとう・まさのり)

 1948(昭和23)年10月22日生まれ、70歳。北海道出身。68年に東京・尾形藤吉厩舎所属で騎手デビュー。77年にラッキールーラでダービーを勝つなど通算2115戦282勝。87年に調教師免許を取得し、翌年に開業。JRA通算6167戦518勝。重賞はGI2勝を含む22勝。

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