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2019.2.19 05:01

【さらばホースマン(1)】同学年・水戸が見た聞いた柴田政人師(1/3ページ)

柴田政人調教師は、騎手時代の1993年にウイニングチケットでダービーV。宿願を達成した

柴田政人調教師は、騎手時代の1993年にウイニングチケットでダービーV。宿願を達成した【拡大】

 2月末は中央競馬の年度末。今年は東西で8人のベテラン調教師が定年を迎える。サンケイスポーツではきょうから4回にわたり、その足跡と功績をたどる「さらばホースマン」を掲載。初日は柴田政人調教師(70)=美浦=と沖芳夫調教師(69)=栗東=を取り上げる。柴田調教師は同学年の水戸正晴記者(70)が取材。多くのエピソードを聞き出した。

 好漢“マサト”が、今月いっぱいでトレセンを去る。調教師になって約23年間に挙げた勝ち鞍は191勝。重賞勝ちはなく、活躍馬といえるのは数えるほどだった。

 「心残り、じくじたるものはある」。トレーナーとして納得する成績を残せなかったことは本人が最もよく知っている。騎手時代から懇意だった馬主も徐々に減り、良質な馬がそろわなくなっていた。とはいえ、「柴田政人」の名が色あせることはない。その業績、人となりは競馬史に輝かしく残ることだろう。

 馬事公苑の騎手養成課程では、岡部幸雄、福永洋一、伊藤正徳らと同じ“花の15期生”。騎手として頭角を現すのも早かったが、すぐにも挫折を味わった。4年目の1970年、アローエクスプレスでの京成杯で重賞初勝利を飾るが、皐月賞を前に名手・加賀武見騎手へのスイッチが決定。「僕の乗り方に問題があったのですか」と師匠の高松三太調教師に詰め寄ると、「いや、お前に落ち度はない」と苦渋の選択を聞き、号泣した。この悔しさをバネに飛躍。73年に関東リーディングに輝き、88年には全国リーディングも獲得した。

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