【名馬は一日にして成らず】夢に架ける橋(38)

2015.7.13 12:20更新

 この連載の取材で厩舎を訪ねたことしの春、橋口弘次郎が宮崎県特産の高級マンゴーを振る舞ってくれたことがあった。おすそ分けに与あずかったのはツルマルの冠号で知られた馬主・鶴田任男の妻、鈴子からの贈答品。平成23年10月に鶴田がこの世を去った後、相続限定馬主として夫の所有馬を引き継いだ鈴子だが、最後の1頭となっていたツルマルスピリットがついに引退することになり、長年の謝意をこめて贈ってくれたのだという。さまざまな思いが詰まったそのマンゴーは私がそれまで口にしてきたものとは全然違う、とても上品な味がした。

 橋口と同じ宮崎県三股町の出身で、父が経営していた瓦工場を振り出しに次々と事業を拡大。三股町の町会議員も務めた鶴田は“中華料理の5000円のコース”をきっかけに競馬に興味を持ち、馬主になった。同郷の橋口の指南のもと、300万円で落札した初めての所有馬ツルマルオゴジョが昭和63年7月のデビュー戦を圧勝し、初出走初勝利を飾ったこと、2年目に所有したツルマルミマタオー(落札価格750万円)、ツルマルベッピン(同330万円)はともにクラシックの大舞台へ駒を進め、このうち、橋口がダービーに送り込んだ最初の管理馬ツルマルミマタオーは低評価(10番人気)を覆して4着に追い込み、トレーナーの大いなる挑戦の第一歩を刻んだことも以前に記したとおりである。

 以降も鶴田の所有馬からは値段以上に活躍する馬が続出。先のツルマルスピリット(落札価格は3700万円)も堅実によく走り、獲得総賞金は1億円を超えた。事業で大きな成功を収めた人が躓つまずくことも珍しくない競馬の世界にあって、幸運の女神は最後まで鶴田に微ほほ笑えみ続けたわけだ。

 橋口によると鶴田は「いろいろな判断をすべて任せてくれる馬主さんだった」という。馬の出し入れやローテーション、起用する騎手などはもちろん、引退した牝馬に配合する種牡馬まで橋口に一任してくれた。カネは出すが、口は出さない。いわゆる“旦那”気質の馬主だったことがうかがえる。

 鶴田はよく橋口に「厩舎を全部、オレの馬で埋めてしまえ」と勧めた。お抱えの調教師にしてしまいたいと思うほど、彼の人柄に惚ほれこんでいたのだろう。そのたびに橋口は笑って答えたものだ。

 「社長にもしものことが起きたら、オレは次の日からメシが食えなくなってしまうじゃないですか」

 そんなことも言い合える間柄だった。

 自戒をこめて書くと、それほど全幅の信頼を寄せられたとき、人間はどうしても好意に甘え、ぬるま湯のような関係に安住してしまいがちだ。しかし橋口は信頼されるほど意気に感じ、責任のハードルを引き上げるタイプである。だからますます、鶴田の信望も厚くなる。強い絆で結ばれ、ツルマルガイセン(中日新聞杯、カブトヤマ記念)、ツルマルガール(朝日チャレンジC)などの重賞勝ち馬も送り出してきた彼らはいつしか、「一度は2人でGIを勝ってみたい」という夢を共有するようになった。その夢をかなえてくれたのがツルマルガールにダンスインザダークを配合して生まれたツルマルボーイだったのだ。

 平成12年7月、小倉の新馬戦でデビュー勝ちを飾り、ダンスインザダーク産駒のJRA初勝利を記録したツルマルボーイはキャリアを重ねながら徐々に力をつけ、平成14年3月の中京記念で重賞初制覇を果たした。しかしその後、産経大阪杯の5着を挟み、メトロポリタンS、金鯱賞を連勝して挑んだ同年の宝塚記念は強襲及ばずダンツフレームの2着。翌年の宝塚記念もヒシミラクルの2着、秋の天皇賞でもシンボリクリスエスの2着と、GIの舞台では惜敗を重ねる。

 迎えた6歳のシーズン。橋口は「ことしこそ、ツルマルボーイにGIを勝たせる」ことを1年の目標に掲げた。ならばどのレースに照準を定めるか。コペルニクス的ともいえた進路選択は報道陣との雑談から生まれた。春のローテーションについて話しているとき、ある記者が「安田記念を使う気はないですか?」と提案してきたのだ。

 橋口は当初、「いやいや、それはないわ」と一笑に付した。過去に4回出走したマイル戦では5着が最高着順。新馬戦(1200メートル)を除くすべての勝ち鞍を中距離で記録してきた戦歴、中長距離色の濃い血統からも、“マイルでGIを獲とる”イメージが描けなかったのは当然である。旧来的な常識で凝り固まった調教師なら「素人が何を言うか」と冷笑して終わりだっただろう。

 ところが別の機会に別の記者から、再び「安田記念は?」と提案されると、今度は心が揺れた。爆発的な末脚を秘めるこの馬に東京コースはピッタリの舞台だ。加えて、2年余りも遠ざかっているマイル戦に使うことで、馬の新たな一面を引き出せるかもしれない。

 いったんそう思い始めると、決断するまでは早かった。こうしてツルマルボーイは産経大阪杯をステップに安田記念へ駒を進める。ローエングリン(1番人気)に騎乗することになった主戦の横山典弘に替わり、鞍上には安藤勝己が起用された。そして安藤はザッツザプレンティの菊花賞に続き、「アンカツさんだから勝てた」と橋口を唸うならせた手綱さばきでツルマルボーイを勝利に導く。

 朝から雨が降り続くなか、稍重馬場で争われたレース。後方3番手を進んだ安藤は3、4コーナーは馬群の内めに入れて回り、直線に向いてから徐々に外へ馬を持ち出す。馬場状態を的確に把握し、距離のロスを最小限に抑えた絶妙なハンドリングがレースのポイントになった。進路が開けた残り300メートル地点から強烈な末脚を発揮し、先頭に抜け出したツルマルボーイはテレグノシスの大外強襲を振り切ってゴール。橋口と鶴田、同郷の2人の念願がついにかなった瞬間だった。◇

 翌日のスポーツ紙には「またアンカツ!」という見出しが躍った。1週間前、安藤はキングカメハメハに騎乗し、ダービージョッキーの仲間入りを果たしたばかりだったのだ。そのダービーで2着に追い込んだのが、10年後のワンアンドオンリーにも繋(つな)がっていく橋口の管理馬ハーツクライだった。(続く)=文中敬称略