JRA小桧山調教師が地方通算1000戦目

2014.6.30 11:35

 7月1日の川崎競馬場で、ひとつの大きな記録が達成される。ジュライスター賞(中央交流、ダート1600メートル)に出走するトウショウヴォワ(牡3歳)の小桧山悟調教師(60)=美浦=が、地方競馬での通算1000戦目を迎えるのだ。

 小桧山師は1996年にJRA・美浦トレセンで厩舎を開業。交流競走が導入された直後の時期でもあり、積極的に地方競馬に管理馬を出走させてきた。一時は地方の調教師から「ウチ(調教師組合)にも組合費を払ってくれよ」と冗談を言われたほど。それだけ数多く出走させ、結果も残してきた。

 「初めて勝ったのは浦和。武幸四郎が乗ってくれたミサトロゼだったね。その前の船橋でユタカ(武豊騎手)が乗って2着に来て、すごい馬券(馬単3万円超)になったんだけど、ユタカが乗れなくて幸四郎に頼んだんだ」

 98年2月に挙げた地方での初勝利も、鮮明に記憶している。これまでにのべ999回、そうした記憶を積み重ねてきた。南関東への出走が中心になるが、機会があれば全国の競馬場に足を運んでいる。

 「高崎は伊達さん(秀和オーナー)の馬で、水野が乗って勝ったのが最初の勝ち星。宇都宮は1つだけ。上山は勝てなかったな…。中津では3頭出しで、有馬(澄男騎手)が乗って勝ったのがうれしかった。荒尾は3着が最高かな。あと1年早く開業できていれば、岩見沢にも行けたんだけどね」

 今では廃止になった競馬場での記憶も、トレーナーの脳裏には残っている。開業してから預かった唯一の弟子である高野和馬騎手を、JRAでの初騎乗よりも先に高崎競馬場で交流競走に騎乗させて、初騎乗初Vという快挙を成し遂げたのも思い出のひとつだ。

 「誰も周りにいないから、装鞍からパドックから、全部一緒に行って写真に撮った。お母さんも来ていたしね。あんなことはなかなかできないでしょ」

 勝ったレースだけでなく、一戦一戦にさまざまなストーリーが刻まれてきた。だが、積極的に地方競馬に遠征することは、思い出づくりや旅行気分でやっていることではない。小桧山師の記憶に強く残っているのは、2頭のオープン馬だ。

 「イルバチオは園田で初勝利を挙げて、500万を勝って、クラスが下がってもう1回園田で500万を勝って、園田は3戦3勝。“園田で一番強い”って言われたよ。たらればの話になるけれど、早い時期に勝って今みたいな交流重賞があれば…って思うね」

 のちに船橋の左海誠二騎手を背にアイビスサマーダッシュを制するイルバチオは、美浦から園田まで行くたびに結果を残し、現地でも高い評価を得ていた。もう1頭の馬はトウショウヴォイスだ。

 「笠松で初勝利を挙げて、昇級してすぐ金沢で連勝。それからいったん降級して、川崎で勝ったんだ。それが地方競馬での一番の思い出かな」

 かつて小桧山厩舎に在籍して定年を迎えたベテラン厩務員がいた。縁あって、“トウショウ”の冠号で知られるトウショウ牧場と小桧山師を取り持ったのが、その厩務員だった。厩務員生活の晩年を小桧山厩舎で過ごしたホースマンが天国に旅立った日に、トウショウ牧場のトウショウヴォイスが川崎で弔い合戦を制したのだ。

 そのトウショウヴォイスも、のちにGIII新潟記念で2着に好走するまで出世した。管理馬の中には、地方馬相手にも苦戦する馬も少なくないが、イルバチオやトウショウヴォイスはひとつの形を残している。

 「能力だけでなく体質も弱かった馬が、交流を使っていくうちに強くなっていったんだよね。それが僕の目指してきた競馬だから」

 大事に使うのもひとつの方法だが、経験を重ねていくことで素質が花開くケースだってある。2頭のオープン馬は、トレーナーの信念を実らせた“功労者”たちだ。そうやって、開業から18年、ぶれずに積み重ねてきたレースの数が、ついに4ケタの数字に到達する日がやってきた。

 だが、小桧山師はこの区切りを前にして「調教師なんて仕事は、この世になくていい仕事なんだよ」と口にする。誤解を招きかねない表現だが、好んで使うこのフレーズにはある思いが秘められている。

 「そもそも競馬は、“人々の生活になくてはならないもの”ではないでしょ。調教師も同じ。競馬があるというのは本当にありがたいことで、平和で幸せな証しなんだよ。だから、調教師をやっていられることに心から感謝して、川崎に行きたいね」

 そこに競馬がある平和。それを生業にしてきた幸せ。「調教師ライセンスを持っている唯一の競馬ファン」と自称するトレーナーは、いつもと変わりない穏やかな笑みをたたえて、のべ1000頭目の地方競馬出走を見守る。

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