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2019.9.11 12:02

【藤代三郎・馬券の休息(103)】スタートについて~忘れられないラガーレグルス(1/2ページ)

日本ダービー出走に向けてゲート審査されるラガーレグルス。結局不合格となり、本番にゲートインすることができなかった

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 『競馬のスタート30年』(日本スターティング・システム株式会社)を読んでいたら、「現在も3700メートルの障害等で使用されている京都の軟式発馬機」という写真が掲載されていたので驚いた。この「軟式発馬機」というのは、バリヤー式ということだ。

 この本は平成7年に刊行された本なので、いまから四半世紀前のことになるが、そのころまではごく一部とはいえ、バリヤー式の発馬機が使用されていたとは想像外である。バリヤー式発馬機はもっとずっと前に使用されなくなったと思っていたのだ。

 それにしてもバリヤー式発馬機は、公平を期すために各馬のスタートをそろえなければならず、それはもう大変であったらしい。

 中村勝五郎『親子3代 馬主80年』(中央競馬PRセンター/1984年)の「リヤー時代」という項には、昭和34年の桜花賞のときはスタートを切るまでに20分以上かかったと書かれている。それにしても20分とはすごい。

 同書から引く。

「バリヤーというのは、スタート地点に網を張っておき、スターターが、全馬出走態勢が整ったとみたとき、網を引くとバネ仕掛けでその網があがるという仕組みである。今日のゲートでも進行方向に向いて箱におさまっていても出遅れることがあるが、バリヤーのときは、前に網がぶらさがっているだけで、あとはフリーだから、スターターがよしと思っても、次の瞬間、馬が横を向いてしまったりして、しばしばひどい出遅れがあった」

 そのバリヤー時代には騒擾事件も起きた。それが、ミナトクヰン事件。昭和24年10月23日の中山競馬の第7レースに起きた事件である。当時は10月末に東京ではなく、中山で競馬をやっていたのか、というのはともかく、問題はそのときのスタートであった。

 バリヤーが跳ね上がると同時に、ミナトクヰンは転倒、騎手が落馬してしまったのだ。問題はその落馬がスタートの前なのか後なのか、ということで、スタート後であるならレースは成立するが、スタート前の落馬だから馬券を買い戻せと客が叫び始めた。

 前記の『親子3代 馬主80年』によると、そのとき、群がるファンをかきわけて、先代の勝五郎がスタンド前の台にのぼったという。そして激昂するファンに訴え始めた。「子供の時から修羅場をくぐってきた父には、この程度はなれていたのだろうか。場なれた感じで、騒ぎの中心人物を見つけ出し、まずそれを説得したようだ。事故の性質と競馬のあり方を説き、中心人物を納得させると、次々にその感化は広がりはじめた」

 一時はレース続行は無理と思われたが、先代勝五郎の説得で騒ぎはおさまり、第8レースは無事に行われたという。

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