【佐藤洋一郎・馬に曳かれて半世紀(86)】令和元年の“正月競馬”に復古・再生~オークス&ダービーも新風が吹き抜ける

2019.5.15 12:01

 ノームコアとは、気取らない通常な服装を特徴としたユニセックスなファッショントレンドである(ウィキペディアから)。

 恥ずかしながら、ヴィクトリアマイルの勝ち馬の名の由来を、知らなかった。ならばチェックすれば良かったのに。まさにその通り。ちょっとでもその気になって調べれば、見えそうで見えない令和も、その来るべき競馬の流れも見えてきた。そして◎クロコスミア(3着)の相手(痛恨の無印)の選択肢(○▲★…)も広がっていた。

 ノーマル+ハードコアの造語であることも、もちろん知らなかった。それでもわざと穴をあけたボロくさいジーンズや作業着風のファッションが氾濫していることは強烈な違和感とともに実感していた。しかもいつしか自分も安くて着心地のいいNCファッションに魅かれて、リサイクルショップの洗い晒しのジーパンなどを漁るはめになった。それが2014年にニューヨークを中心に発生したファッショントレンドであり、着古したジーンズを探し古い鉱山などを漁って数十万、ときにはオークションで7桁もの“高配当”のつく美術・骨董品的なお宝を発掘するデニム・ハンターなる者もいる。平成はそういう時代、1949年にゴールドラッシュにつられてカリフォルニアに入植したフォーティナイナー(49er)たちが履いた古びたデニムが、金色の脚光をあびてしまうベルエポックにまで爛熟している。ただ漠然と川の流れをながめていた49erの時代には中高生くらいだった時流に疎いアナログおやじにもやっと、平成の隆盛とともに奔流となったトレンドの正体が見えてきた。

 これは温故知新、懐古趣味、ルネサンス(復古、復興)、あるいは「歴史は繰り返す」という必然的トレンドなのだ。競馬においてはまだ発生したばかりのノームコアシンドローム(症候群)だが、それが蔓延して古くて新しい、ニュー・オールド(New・Old)エポックに進化する。その鍵を握っている天才騎手が、令和元年の競馬の“正月”にハーレー彗星のような光彩を放ってヴィクトリアマイルを突き抜けた。

 ダミアン・レーン、オーストラリア“ヴィクトリア”州出身の25歳。両親が調教師という生粋の厩(うまや)育ちのキリストのような馬乗りが、なぜ落雹とともに東京に降臨したのか。しなければならなかったのか。平成の碧眼の寵児の一人C・ルメール騎手の斜行や降着による騎乗停止の代打、スタンドフォアとして誰が、何がそうさせたのか。それは競馬の歴史、日本の昭和競馬の怪物、ヒーローたちとは切っても切れない豪州、豪サラと深く関わっているように思える。

 インド国王の座にも着いたほどに植民地を広げていった大英帝国の女帝ヴィクトリア女王は、豪州にもヴィクトリア州の名をとどめ、サラブレッド生産=競馬の基盤をも築いていた。明治になってやっと競馬なるものを取り入れた日本も、英国から高価な純血を輸入しつつ、それでは間に合わない数量合わせに多くの安価な「豪サラ」を導入した。まさに十把一からげのバーゲンセールのような買い物だったが、そうした氏素性もしれない雑草のような豪サラのなかから、たとえばシュリリーはトサミドリを一蹴したクインナルビーを産出し、その子孫から芦毛の怪物オグリキャップが産声をあげた。初代怪物タケシバオーの母系も、88年「豪サラ旋風」の台風の目でもあった芦毛の怪物タマモクロスも昭和28年に輸入されたミスチャネルの末孫だった。2016年の生産頭数で、本家本元の英サラの生産は凋落(4663頭)してはいるが、分家の豪サラはアメリカ(2万850頭)につぐ1万2653頭と、アイルランド(9381頭)、アルゼンチン(7万405頭)、日本(6901頭)、フランス5万305頭をしのぐ生産力を維持している。タマモクロスやオグリキャップが走っていたころも、ベタールースンアップがジャパンCを勝ったり、ナチュラリズムが2着したり、レッツイロープ(駆け落ちしよう)なんてユーモラスな馬名が話題になったりと、豪州、豪サラは突出はしなくても常に世界の中枢に息づいている。大きくは目立たなくても、馬と同じように星の数ほどに騎手も息をひそめていて、オファーやチャンスが与えられれば即座に、その歴史や伝統に培われたマジカルパワーを魅せつける。忽然と降臨したかにも見えるダミアン・レーンを深読みすれば、深く静かに沈潜したいた49erのデニムのようなルネサンス(復古、再生)のときが訪れている。昭和の怪物たちを産出した太古のエネルギーが、湿った砲筒が火を噴くようよみがえる。オークスにもダービーもNCを上回るようなNO(ニュー・オールド)の新風が吹き抜ける!?

佐藤洋一郎(さとう・よういちろう)

 サンケイスポーツ記者。早大中退後、様々な職を転々とするなかサンスポの読者予想コンテストで優勝。71年にエイトの創刊要員として産経新聞社へ。サンスポの駆け出し記者時代に大橋巨泉の番記者に抜擢されたのが大きな転機に。季節・馬場・展開の3要素を予想に取り入れ数々の万馬券をヒットさせ、鬼才と呼ばれる。

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