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2019.5.15 12:00

【藤代三郎・馬券の休息(86)】いまはなき競馬場について関東編(1)婦人に人気の板橋競馬(2/2ページ)

週刊Gallop誌上で好評連載中の作家・藤代三郎氏が、競馬にまつわる日常を氏のユニークな視点で綴る「馬券の休息」

週刊Gallop誌上で好評連載中の作家・藤代三郎氏が、競馬にまつわる日常を氏のユニークな視点で綴る「馬券の休息」【拡大】

 板橋競馬場についてはもっと詳しい紹介記事もある。それが、斎藤千秋「日本における近代競馬 板橋競馬場の誕生と終焉」(板橋区立郷土資料館・特別展「板橋と馬」図録2014年)だ。

 これが興味深いのは当時の新聞を紹介していることだ。それによると、板橋競馬には「婦人の入場者が頗る多いのは奇妙だ」と書かれているという。その婦人のほとんどが新橋柳橋、赤坂日本橋下谷、さらに牛込富士見町の所謂淑女だというのだが(その中にはジョッケー倶楽部の理事長の愛人もいるのではないかとの噂も紹介)、秋季競馬のときは「上品な奥様達」が多かったと書かれていたという。この「上品な奥様達」というのが、ある程度品位のある身分の女性という意味なのか、この記事からは判断できないと著者は書いている。

 競馬場に多く見られたという女性がどういう女性だったのか、結局はわからないのだが、わざわざ新聞に書いているくらいなのだから、女性客が多かったことは事実なのだろうと著者は結論している。

 当時の競馬場の写真が残っていれば、雰囲気がわかって大変いいのだが、いくら資料を探しても写真にはいまだに遭遇しない。まことに残念である。

 ただ、問題の多い競馬場でもあったようで、第1回の開催は明治四十年十二月に予定していたが、競馬会社設立をめぐる紛争は裁判沙汰にまでなり、結局第1回の開催が行われたのは翌年春。明治四十年の「幻の第1回開催のポスター」は、『浮世絵 明治の競馬』に載っている。

 さらに、開催されても問題は山積で、八百長は絶え間なかったという。もっともそれは、板橋競馬だけのことではなく、コースや施設の不備、不正な競走は、当時の競馬場に共通する事情だったようだ。各地で騒動やスキャンダルが起きて、馬券発売が禁止されていくのもそのためであった。

藤代三郎(ふじしろ・さぶろう)

 1946年生まれ。本名・目黒考二(めぐろ・こうじ)。明治大学文学部卒業後、76年に作家・椎名誠氏と書評誌「本の雑誌」創刊。ミステリーと野球とギャンブルをこよなく愛す。藤代三郎のほかにも群一郎、北上次郎など複数のペンネームを持ち、評論、執筆活動を幅広く展開。著書に「本の雑誌風雲録」「活字三昧」(いずれも目黒考二)や「冒険小説論」(北上次郎)。「戒厳令下のチンチロリン」や週刊ギャロップに創刊より連載している「馬券の真実」をまとめた「外れ馬券は人生である」などの“外れ馬券シリーズ”は藤代三郎として発行している。