【藤代三郎・馬券の休息(86)】いまはなき競馬場について関東編(1)婦人に人気の板橋競馬

2019.5.15 12:00

 明治末年にあったという板橋競馬がずっと気になっていたのは、私の生家に近かったからだ。私の生家は、JR池袋駅から徒歩で20分、豊島区の外れにあった。家の前の道を渡ればすぐ板橋区である。

 だから、駅としては東武東上線の大山駅のほうが近い。徒歩で10分。中学高校時代はよく自転車で行ったものである。自転車なら3分といったところか。大山駅から川越街道まで続くハッピーロード商店街の両端に古本屋があり、高校大学時代は自転車で覗きに行った。真ん中の裏通りにもう1軒。さらに大山駅からハッピーロード商店街とは逆の方向(つまり山手通りの方向)に行けば、途中に1軒、山手通りに出る手前にもう1軒、山手通りを越えていけば板橋駅の手前の左手に一軒、踏み切り際に1軒、少し先にもう1軒と、自転車でまわれる範囲にたくさんの古本屋があった。ようするに中学高校大学、さらには生家を出る20代後半まで、そのあたりは私の自転車散策コースだった。

 そんな近くに競馬場があったというのだから気になるのは当然だ。それがどういう競馬場であったのか、具体的にはどこにあったのか、ずっと気になっていたが、資料が少なく、また本気で探していたわけでもないので、その全貌はなかなか掴めなかった。

 矢野吉彦『競馬と鉄道』を取り上げた回で、「板橋競馬」の新聞広告を紹介したが、そこに「王子駅より人車20分」「板橋駅より人車10分」とあり(人車とは人力車のこと)、大山駅からすぐなのにどうしてそんな遠方から人力車に乗るんだろうと思ったものだが、板橋競馬場があった明治31年に、東武東上線は開通していなかった。

 監修・著作/板橋区『板橋マニア』(フリックスタジオ2018年)には、明治時代から戦中までの地図が載っているが、その地図上に板橋競馬場が描かれている。大山駅と中板橋駅の間、やや大山寄りに、東武東上線を跨ぐ恰好で板橋競馬場の楕円形が描かれている。その説明を長くなるが引いておく。

「明治41~43(1908~1910)年まで現在の板橋区栄町を中心に東は氷川町、西は仲町のあたりにかけて板橋競馬場があった。東京近郊の四つの競馬場(池上、川崎、目黒、板橋)の運営組織が合同して東京競馬倶楽部が発足し、目黒に一本化されて廃止となった。板橋競馬場で実際に競馬が行われたのは最初の1年間に3回だけだった」

 この本が興味深いのは、昭和2年ごろに石神井川の水を引き込んで作られたプール「遊泉園」の写真や(最寄りに設置された夏期臨時駅が東上線中板橋駅の前身となった)、料亭、茶屋、ボート池、テニスコート、小動物園、映画館、運動場、入浴施設などを備えた「兎月園」(現在で言えば、リゾート施設か)の写真などが載っていることだ。昔の話が大好きな私は、こういうセピア色の写真を見ながら、遠い昔に思いを馳せるのである。特に、プール「遊泉園」の写真には当時の庶民たちの夏の憩いの場の様子が鮮やかに切り取られていて、よくこんな写真が残っていたものだと感心する。

 板橋競馬場についてはもっと詳しい紹介記事もある。それが、斎藤千秋「日本における近代競馬 板橋競馬場の誕生と終焉」(板橋区立郷土資料館・特別展「板橋と馬」図録2014年)だ。

 これが興味深いのは当時の新聞を紹介していることだ。それによると、板橋競馬には「婦人の入場者が頗る多いのは奇妙だ」と書かれているという。その婦人のほとんどが新橋柳橋、赤坂日本橋下谷、さらに牛込富士見町の所謂淑女だというのだが(その中にはジョッケー倶楽部の理事長の愛人もいるのではないかとの噂も紹介)、秋季競馬のときは「上品な奥様達」が多かったと書かれていたという。この「上品な奥様達」というのが、ある程度品位のある身分の女性という意味なのか、この記事からは判断できないと著者は書いている。

 競馬場に多く見られたという女性がどういう女性だったのか、結局はわからないのだが、わざわざ新聞に書いているくらいなのだから、女性客が多かったことは事実なのだろうと著者は結論している。

 当時の競馬場の写真が残っていれば、雰囲気がわかって大変いいのだが、いくら資料を探しても写真にはいまだに遭遇しない。まことに残念である。

 ただ、問題の多い競馬場でもあったようで、第1回の開催は明治四十年十二月に予定していたが、競馬会社設立をめぐる紛争は裁判沙汰にまでなり、結局第1回の開催が行われたのは翌年春。明治四十年の「幻の第1回開催のポスター」は、『浮世絵 明治の競馬』に載っている。

 さらに、開催されても問題は山積で、八百長は絶え間なかったという。もっともそれは、板橋競馬だけのことではなく、コースや施設の不備、不正な競走は、当時の競馬場に共通する事情だったようだ。各地で騒動やスキャンダルが起きて、馬券発売が禁止されていくのもそのためであった。

藤代三郎(ふじしろ・さぶろう)

 1946年生まれ。本名・目黒考二(めぐろ・こうじ)。明治大学文学部卒業後、76年に作家・椎名誠氏と書評誌「本の雑誌」創刊。ミステリーと野球とギャンブルをこよなく愛す。藤代三郎のほかにも群一郎、北上次郎など複数のペンネームを持ち、評論、執筆活動を幅広く展開。著書に「本の雑誌風雲録」「活字三昧」(いずれも目黒考二)や「冒険小説論」(北上次郎)。「戒厳令下のチンチロリン」や週刊ギャロップに創刊より連載している「馬券の真実」をまとめた「外れ馬券は人生である」などの“外れ馬券シリーズ”は藤代三郎として発行している。

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