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2018.12.5 12:01

【佐藤洋一郎・馬に曳かれて半世紀(64)】古今馬学徒(3)中立、公平…侠気に宿る記者魂

スポーツ紙記者No.1の健筆家と謳われるサンスポ佐藤洋一郎記者が自身の記者生活の集大成として送り出す「馬に曳かれて半世紀」

スポーツ紙記者No.1の健筆家と謳われるサンスポ佐藤洋一郎記者が自身の記者生活の集大成として送り出す「馬に曳かれて半世紀」【拡大】

 『風薫る5月の府中。競馬場は土曜日がいい。…地鳴りのような音をたてながら、直線の坂を上がってくる馬たち。馬券を握りながらそれを見つめる瞬間が、競馬ファン至福のときといえるだろう。

 そんなとき、黄色いジャンパーのオバサンが肩を叩く。背中には「ストップ・ティーンエージャー」の文字。

 「あなた、学生でしょ。こんなところで何してるの」

 くだくだ言われたあげく、住所氏名まで書かされる。至福の時は一瞬にしてぶちこわし。それからというもの、つかまるのがこわくなって、競馬場に足を運ばなくなる…。

 そういうのは、もうやめませんか?

 学生だって、競馬を、そして馬券を楽しんじゃいけない理由なんてないはずだ。そう、私は高校のころから馬券を買っている。馬券で笑い、馬券で泣いて、9年間競馬を見続けてきた。よかれあしかれ、それが現実なのであり、我々みたいな学生ファンがいたからこそ、競馬は国民的なファンの裾野を獲得できたのだと思う。

 いまや国民的スポーツとなりつつある競馬。我々学生競馬ファンの存在が公に認められてもいい時期に来ているように思うのだが…。柿澤未途(法学部3年=カルトQ・競馬編優勝者)』

 1994年1月10日発行の『東大生が競馬場に通う理由(わけ)』。現役東大生(1人だけ卒業して筑波大専任講師)24人のセカンドバッターの念願は、それから7年後(競馬法改正)にやっとかなった。『競馬の人類学』(1988年岩波書店)の著者長島信弘教授は「アフリカでは中学生くらいから馬券が買える。教育的にもいいことだよね」と言っていた。東大の大先輩(長島)にも鼓舞されたにちがいない、こうしたターファイト(turfite)学徒のメッセージが、鈍足JRAの意識改革に拍車をかけたのかもしれない。かくいう記者自身、トップバッターの亀松太郎(洋一郎よ「予想屋をやめろ!」には啓発され、勇気づけられ、駄馬でしかない自分が踏みしめるべき道、コースをも教えられた。その道はいつか来た道…1988年9月25日の『競馬通信』(9)「六分の侠気と四分の浮かれ心」から。

 石川(喬司)ー競馬における競馬ジャーナリズムの役割について、クリストさん(『ホーストレーダーズ』サラブレッド血統センターの著者スティーヴン・クリスト=31歳)なりの考えをお聞かせください。

 クリスト ひじょうに難しい質問だ。(中略)ただ、一つだけ言えることがある。それは、他の多くのスポーツにくらべて競馬ジャーナリズムは、あくまでも中立、公平な立場で記事を書かなければならない、ということです。競馬というのは、それに関与している人間すべてに利害がからんでいる。ブリーダー、オーナー、調教師、施行者といった業界それぞれの人間がすべてオカネと密着している。

 したがって競馬ジャーナリズムは、自身の中立、公平の立場をずっと保っていくためにも、そうした競馬ビジネスと特別な関係を結ぶべきではない。(略)また自分で馬を所有したり売り買いしたりすべきではない。競馬ビジネスに首を突っ込めば、その時点で競馬ジャーナリストとしての資格はない。

 26歳で新聞社に飛び込んだ小生には、師と仰ぐ先輩記者もいなければ、それなりの研修や教育を受けた経験もない。扇谷正造さんの『ジャーナリスト入門』という自伝にもとずいた入門書によって、ありうべき記者像がおぼろげながら育まれた。駆け出し時代、扇谷記者は著名な歌舞伎役者を取材した帰りにお車代(現金)”をもらった。それをデスクに見せたら烈火のごとく叱責され「バカヤロー! そんなもの新聞記者がもらっていいと思ってるのか。すぐに返してこい!」

 これに懲りた扇谷記者は、高峰秀子さんを取材して、「せめて手拭いでも」と差し出された一本の手拭いにも手を出さずに逃げ帰ったとう。「六分の侠気と四分の浮かれ心」という昔の記者魂(?)が、いまの時代に古いとは思わない。侠気こそアメリカの若いジャーナリスト(クリスト氏)が主張する倫理観、正義感にほかならない、と思うのだ。

       ◇ ◇ ◇

 扇谷正造とスティーヴン・クリストに触発されたジャーナリスト(新聞記者)の侠気が、大恩のある大橋巨泉に盾ついて「オレが止めるか、洋一郎が止めるか!」という筆禍事件を巻き起こしたこともあったが…。

(次回に続く)

佐藤洋一郎(さとう・よういちろう)

 サンケイスポーツ記者。早大中退後、様々な職を転々とするなかサンスポの読者予想コンテストで優勝。71年にエイトの創刊要員として産経新聞社へ。サンスポの駆け出し記者時代に大橋巨泉の番記者に抜擢されたのが大きな転機に。季節・馬場・展開の3要素を予想に取り入れ数々の万馬券をヒットさせ、鬼才と呼ばれる。