中央競馬:ニュース中央競馬

2018.12.5 12:00

【藤代三郎・馬券の休息(64)】日本の在来馬について・その4~ジャバニーズ・ポニーの時代

週刊Gallop誌上で好評連載中の作家・藤代三郎氏が、競馬にまつわる日常を氏のユニークな視点で綴る「馬券の休息」

週刊Gallop誌上で好評連載中の作家・藤代三郎氏が、競馬にまつわる日常を氏のユニークな視点で綴る「馬券の休息」【拡大】

 日本の在来馬って小さかったんだねと言うと、えっ、知らなかったの、と競馬友達に言われてしまった。そうか、知らなかったのは私だけなのか。

 そういえば、角川書店発行のPR小冊子「本の旅人」2018年9月号に掲載のインタビューで、『信長の原理』を刊行したばかりの垣根涼介は次のように語っている

--時代劇ではよく馬に乗って奇襲したという描かれ方をしますが、あれは史実ではないようです。当時の馬というのは、現代の馬よりもうんと小さかったですからね。そこに何十キロもある甲冑を着けた兵士が乗って、遠距離を疾駆できるわけがない(笑)。

 坂内誠一は『碧い目の見た日本の馬』で、「小さな日本の馬」という一項を作り、そこで詳細に書いている。

 中・小型馬は身長の低い日本人に合っていたこと、大型馬は餌をたくさん食べるので歓迎されなかったこと--この二つの理由は前に紹介したが、それ以外にも、馬を飼育するための広大な牧草地が必要だが、それが得られなかったこと、戦国時代末期の鉄砲の導入で足軽鉄砲隊に主力を置く戦いに戦術転換が行われ、精悍な馬を育成する必要がなくなったこと、そのために軍馬改良の意欲がなくなったこと--などの理由がこの項であげられている。

 天正遣欧使節が帰国(一五九〇年)の際に連れてきたアラビア馬は秀吉に献上されたが、そのときの様子をバルトリ編『耶蘇会史』から坂内誠一は次のように引用している。とても印象深いので、ここにも引いておく。「アラビア産の巨大で見事な体躯、およびその活発なる性質と調教の結果による特異の歩行にくらべて、その後に続いた日本の馬は矮小で醜く、皇帝(秀吉)の厩の中で最良の馬でも駄馬に類するものであった」

 さらに一八七四年(明治七年)に来日したメキシコの天文学者ディアス・コバルビアスは、アジア種の馬に乗ったイギリス人を根岸で見たときの感想を、『日本旅行記』で次のように書いているという。

「日本の馬は背丈は中位で小柄である。頭が大きく、たて髪としっぽの毛は密で縮れていた。全体として駿馬という感じはなく、野性的というか、少なくても洗練されているとはいえないようである」

 もう散々だが、興味深い1枚の写真を次に紹介したい。早坂昇治『文明開化うま物語』に収録されている写真である。アーネスト・サトウが馬と一緒に写っている写真だが、この馬の体高がアーネスト・サトウの胸までもないのだ。アーネスト・サトウはイギリスの外交官で、サトウという名前ながら純然たるイギリス人。だから背が高い、という事情はあるだろうが、それにしても馬の小ささは尋常ではない。本文によるとこの写真の馬は南部馬だろうというのだが、ようするにポニーである。人間と一緒に写ると、その小ささを実感できる。

 この南部馬について早坂昇治は次のように書いている。「この南部馬は明治に至るまで、日本における最も優秀な馬として受け継がれていた。日本にきた外国人たちは、多くの日本の馬のなかでも特に南部馬に注目し、これを中国馬とともに競走馬として使った」

 アーネスト・サトウは馬主としても有名であったので、この写真の南部馬もそういう愛馬の1頭と思われるが、馬名ははっきりしないと早坂昇治は書いている。

 ちなみに、萩原延寿『遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄』によると、居留地裏の競馬場を訪れた一八六二年一〇月一日の日記には、「競馬の日だが暑い。賭けには加わらなかったが、私は会員になっていたので、特別観覧席に陣どった」とあるという。根岸競馬場の特別観覧席というのならわかるが、居留地裏の競馬場にも特別観覧席があったのか。そんなに立派な競馬場とは驚きである。

 ところでここで何度もその著書から引いている早坂昇治は、日本短波放送開局とともに第1期のアナウンサーになった人で、競馬中継の草分けとして知られ、のちには「馬の博物館」の新設とともに学芸部長に就任という経歴の方である。ここでは『競馬異外史』と『文明開化うま物語』から何度も引用しているが、著書は他にも『馬たちの33章 時代を彩ったうまの文化史』(緑書房1996年)という本がある。この3冊はぜひ復刊をお願いしたいほどまことに面白い。競馬の歴史を語る書なので、古びるということがないのだ。

 その『文明開化うま物語』から、最後にこの一文を引いておく。

「日本にはじめて西洋式競馬が紹介された幕末から明治三十年代まで、競馬に使用されていた馬は、日本馬と中国馬が主体で、外国人はこれらの馬を「ジャパニーズ・ポニー」「チャイニーズ・ポニー」と呼んでいた。西洋のアラブ種やペルシュロン種を始めとした大型馬を見なれている外国人にとっては、日本馬はポニーにすぎなかったのである」

藤代三郎(ふじしろ・さぶろう)

 1946年生まれ。本名・目黒考二(めぐろ・こうじ)。明治大学文学部卒業後、76年に作家・椎名誠氏と書評誌「本の雑誌」創刊。ミステリーと野球とギャンブルをこよなく愛す。藤代三郎のほかにも群一郎、北上次郎など複数のペンネームを持ち、評論、執筆活動を幅広く展開。著書に「本の雑誌風雲録」「活字三昧」(いずれも目黒考二)や「冒険小説論」(北上次郎)。「戒厳令下のチンチロリン」や週刊ギャロップに創刊より連載している「馬券の真実」をまとめた「外れ馬券は人生である」などの“外れ馬券シリーズ”は藤代三郎として発行している。