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2018.12.5 10:00

【平成の真実(10)】平成2年5月27日「史上最多19万人来場ダービー」(1/4ページ)

ウイニングランから帰ってきた中野騎手とアイネスフウジンを迎えたのは、「ナカノ、ナカノ」の大合唱だった

ウイニングランから帰ってきた中野騎手とアイネスフウジンを迎えたのは、「ナカノ、ナカノ」の大合唱だった【拡大】

 平成バブルがはじける寸前。日本の競馬界は武豊やオグリキャップの出現もあり、空前のブームを迎えていた。平成2(1990)年5月27日の日本ダービー。東京競馬場に詰めかけた19万6517人は、中央競馬の入場人員レコードとして今も破られていない。その大観衆から沸き上がった「ナカノコール」。競馬がギャンブルからエンターテインメントに変わる瞬間、中心にいたのが中堅騎手の中野栄治(65)=現調教師=だった。(取材構成・内海裕介、千葉智春)

 人、人、人で立錐(りっすい)の余地もないほどだった。第57回日本ダービーが行われた東京競馬場は、19万6517人の大観衆をのみ込んだ。

 競馬の祭典は、3番人気のアイネスフウジンが優勝。ゴールした後のスタンドから、見たこともない光景が広がった。優勝騎手の中野栄治をたたえる「ナカノ、ナカノ」の大合唱だ。競馬場は異様な熱気に包まれた。

 「不思議な感じだったよね。自分の名前が聞こえてきたんだから」

 なかなか帰ってこない勝者を待ちわびたファンから、自然発生的に「ナカノコール」が起きた。競馬場での「コール」はこれが最初。平成競馬史のエポックメーキングだった。この年のラストランで勝利を飾ったオグリキャップの「オグリコール」も、ここが原点だ。

 「(ゴール後)僕はすぐに帰りたかったのに、アイネスが精根尽き果てて、キャンター(かけあし)すらできなかった。仕方なくダク(はやあし)でゆっくり引き揚げているうちに、例のコールが始まったんです」

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  • 現在は調教師の中野栄治。持っているのはダービー優勝記念に作った浴衣の生地
  • 日本ダービー1着、アイネスフウジン(12)=1990年5月27日撮影
  • 平成2年(1990年)5月28日付サンケイスポーツ東京版1面
  • 平成2年(1990年)5月28日付サンケイスポーツ東京版終面