【佐藤洋一郎・馬に曳かれて半世紀(43)】七夕にアゲヒバリ名乗りいで メドウラーク、歴史に名を刻む

2018.7.11 12:25

時は春、
日は朝(あした)
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚げ雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。すべて世は事もなし。
(春の朝=ロバート・ブラウニング)

 白鳥(芦毛の牝馬◎キンショーユキヒメ)が舞うはずだった七夕に、牧場の雲雀(メドウラーク)が飛び立った。母はアゲヒバリ(揚げ雲雀)だし、その父クロフネ(芦毛)の血を強く引いていれば「かもめが翔んだ日」のように“白雲雀”の七夕賞が歴史に刻まれたかもしれない…。

 大雨で荒廃していたメドウ(草原)のキックバックを受けた鹿毛の地肌は、テレビ映像では見えなかった。しかし翼に付着していたであろう泥の斑点を力強く振り切って飛び立ったアゲヒバリの勇姿は、ヴァーチャル画像として網膜に結実した。死んだ土からリラの花を蘇生させる残酷な4月ー(T・S・エリオット『荒れ地』)のような強靱な生命力、馬の精霊のようなものを、フクシマの大地は育んでいる。そのマジカルパワーは今も、衰えてはいない…。

 大震災(2011年)のはるか前、1990年の七夕賞を障害の名手に導かれて翔んだイダテンターボ(単勝27・8倍)の奇跡を、震災から17年経った開設100周年の檜舞台が塗り替えた。3年間勝ち鞍に恵まれず草むら歩き回っていアゲヒバリの息子を、フクシマの荒れた草っ原がスターゲイザー(星を仰ぐ馬)のように羽ばたかせた。12頭立て11番人気の単勝はイダテンターボの3倍強の万馬券100・8倍。4番人気マイネルサージュ、12番人気パワーポケットの2、3着3連単が満天の星のような7桁配当256万3360円。差のない3番人気に祭り上げられていた“芦毛”のプラチナムバレットが落馬、ハクセツ・ジョセツ姉妹の再来を連想させたキンショーユキヒメ(7着)も、もう一頭の芦毛マイネルフロストも、成すすべもなく凡退させた痛烈なしっぺ返しを受けながらも、その理不尽さを恨むことなく、これこそが馬の精霊たちが発した、怠慢な国や人々に対する抗議のパフォーマンス、言葉なきメッセージのひとつなのではないのか。

 馬場が荒れていて時計のかかる、馬力のある馬に有利な条件になっていた。傑出した有力馬不在の、何が勝っても不思議ではないメンバー構成だった。そうした状況に拍車をかけたハイペース(前半3ハロン34・4、4ハロン46・4、後半50・7、38・6)によるドンデン返しがはまった…といった後出しの講釈は誰にでもできる。そうではなく、そういう舞台設定をして展開をも演出してしまう何か、摩訶不思議な霊力のようなものを、福島の気候風土、伝統に根ざした馬文化が育んでいる。そういう解釈、説明でしか解き明かせない何かがフクシマにはある。メドウラークの手綱をとった丸太恭介騎手は震災前年の2010年秋の福島記念を、16頭立て12番人気だったダンスインザモアでもぎ穫っていた。七夕賞と同じく、最後方からの直線一気の牛蒡抜きだった。

 約半世紀まえ、福島駅でタクシーに乗った。住所はわからないので、こう言えばわかると教えられていた旅館の名を告げた。

「ニワトリゴンゲンの佐久間旅館、わかりますか?」

 え?という感じで振り返ったドライバーの好奇の眼差しと「ケイバの人け?」という奇妙(に聞こえた)な声を思い出す。10分足らずで着いた「佐久間旅館」は、別棟に小さな道場を持った異色の宿だった。その道場主が佐久間オーナーで、なんと二刀流の師範でもあった。二天一流の開祖、宮本武蔵の流れをくむのかどうかは聞きそびれたが、その後も何度か通ううちに、長刀と小太刀の構え方や使い分け(小太刀は受け=防御主体)などの手ほどきを受けたことがある。

 高校から剣道を始めてすぐに初段を取り、2段昇格前の2年生のときに、先鋒に抜擢されて国体に出陣して2人撃破した。しかし中学時代から警察剣道で鍛えてきたという主将も副将も敗退し、がっかりして帰京したという武勇伝など話して目をかけてくれた。

 「にわとりごんげん(鶏権現)はすぐそこにあるよ。見てくっけ?」。女将(佐久間夫人)に言われ、痩せぎすだけど、お通(武蔵の恋人)より美人かも。娘は佐久間良子というより司葉子なみの美女だし…。

 自分が田舎者のくせに、村の鎮守の神様の~よりもっと田舎にしかない、聞いたことのない鶏権現(祠のようなもの)なんたるかを目撃し、その由来(子供の百日咳を鎮めたり治癒させたりするために祈念する場所。ニワトリのケケケという鳴き声を咳に見立てて?)を調べたりして、関東では知るよしもない東北、福島の古さ、広さ、その奥の馬と人の織りなす歴史の深さなどを思い知らされた。その伏魔殿ならぬ伏馬郷に誘ってくれたのが「相馬のコーゼン」「相馬のプレスリー」とも敬愛されていた甲冑競馬、神旗争奪戦の名手で、当時は東京競馬場でラッド(調教助手)をしていた生粋のフクシマ男児だった。

佐藤洋一郎(さとう・よういちろう)

 サンケイスポーツ記者。早大中退後、様々な職を転々とするなかサンスポの読者予想コンテストで優勝。71年にエイトの創刊要員として産経新聞社へ。サンスポの駆け出し記者時代に大橋巨泉の番記者に抜擢されたのが大きな転機に。季節・馬場・展開の3要素を予想に取り入れ数々の万馬券をヒットさせ、鬼才と呼ばれる。

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