【佐藤洋一郎・馬に曳かれて半世紀(35)】「オークスのゾロ目」復活の予兆?あるぞ人気薄馬の返り咲き

2018.5.16 12:15

 雨の多摩丘陵に咲いた紅花のような帽子が、濡れた芝生から持ったままで抜け出した。そのとき、内ラチに身を潜ていたもう一輪の赤い花が2、3番手に押しあげていた。「よし! そのまま、行け、行け、GO、GO~!!」

 わずか数秒の絶叫だった。しかし、赤のゾロ目、二輪軸3連単総流し!の、まぼろしは見えた。

 【◎】(6)レッドアヴァンセ3着(複350円)、▲(5)レーヌミノル10着。名母エリモピクシーの娘は、NHKマイルC3着クラレントとレッドヴェイロンの兄たちに次いで「GI銅メダリスト3兄妹」となり、母の名をさらに高めて全弟「エリモピクシーの2017」のPOG評価を急騰させている?

 

 1968年のオークスを、初めて特券(1000円)でしとめた。(6)(6)6,730円は史上2番目の高配当だった。JRA育成の安馬、生産者や調教師らを阻害するような鼻つまみの嫌われ者の抽選馬に肩入れするへそ曲がりの◎(抽)ルピナスは16頭立て8番人気、前哨戦のサンスポ賞4歳牝馬S1番人気で大敗(最下位)したスズガーベラは5番人気にまで急落した。ガーベラの敗因は突発的なフケ(発情)という新聞のコメントを読み(当時は一介のファン)、野の花ルピナスがこぼれ咲き、萎れたガーベラが息を吹き返してグリーンの芝生(6)(6)が花園に変わる…それでよし、そのままぁ~! 

 このゾロ目にインスパイアされ、翌々年の(4)(4)(ジュピック・ケイサンタ)8,210円(最高配当更新)、さらにその4年後74年のトウコウエルザ・スピードシンザンのアタマ差のデッドヒート(5)(5)7,850円をもトッケンで押さえていた。「牝馬のゾロメ」は個人的なジンクス、ラッキーナンバーとなり、条件は問わず「牝ゾロ」にはずいぶんお世話になった。近年は3連単・複の窮余の策としてゾロ目(同枠2頭)軸をあえて活用することもある。

 ヴィクトリアマイルが牝ゾロの片鱗をチラリとのぞかせたのは、ひょっとすると「オークスのゾロ目」復活の前触れか。だとするとJRA育成・調教馬とか、トライアルで大敗した人気花の返り咲きとか…。

 

 オークス話がここまでヒートアップして、記者の競馬記者人生を決定的にした牝馬と美少女との出会いを記さないわけにはいかない。その馬に◎を打ったおかげで、競馬記者になって初めて『優駿』から原稿依頼(クラシック馬の故郷を訪ねて)があり、北海道への生まれて初めての取材旅行に誘われたのだから。

 

 【トウカイローマンを初めて見たのは、オークスの週の火曜日だった。東京競馬場の出張馬房で厩務員が鬣(たてがみ)と前髪をブラッシングしていた。彼女の正面に立ったとき、胸にギクリと突き刺さるものがあった。小さな頭に艶やかな黒髪、鼻筋の通った端正でしかも愛らしい面立ち、底なしの泉さながらに澄明な目壷(めつぼ)がたたえる吸い込まれそうな色調…。洗い場から歩み出た小柄な肢体の、華奢に見えて腰高で張りのあるプロポーションを目の当たりにして、思わず一人の少女の名をつぶやいた。サラ。サラ・ジェーン・ガルシア…。

 サラを初めて見たのは、若い厩務員に連れられて行った美浦トレセン裏の薄暗いクラブのシートでだった。ショータイムの踊り子たちのなかでキャアキャア嬌声を発し、水遊びする子供のようにはしゃいでいた。サラはスペイン系のフィリピン人。

 

 「カユマンギー。マイ・スキン・カラー・イズ・クティス・カユマンギー、ユウ・ノウ?」

 サラは細い腕を肩のあたりまでむき出しにして、自分の肌の色こそ正真正銘のフィリピン人の肌であることを強調した。カユマンギーはタガログ語のピンキッシュ・イエロー(桜桃色)のことで、クティスは本物。ダンサーとして初めて日本に出稼ぎに来た。故郷には両親と4人の弟や妹が自分の仕送りを待っている。出発するときにボーイフレンンドと喧嘩別れしてきたことなどを、スパニッシュ訛りの流暢な英語で話した。

 英語が通じるということでサラとすっかり仲良くなり、二度目に一人で行ったときにはアパートでのヌーン・パーティーに招かれた。狭い一室に5人の少女がひしめいていた。サラは魚介類を好んだが、ほかの少女たちはポークをよく食べた。それなのに全員がぜい肉のまったくないスリムな体をしているのが不思議だった。休日にサラと映画を観た帰り、カバヨ(馬)で儲けたら、何かプレゼントしてやると約束した。ババエが女、カシンタハンが恋人。このタガログ語は一度聞いたら忘れようがなかった。馬が 河馬ヨよで、女が婆エ。ガハハハハ!

 トウカイローマンに衝撃を受けた翌日、初対面の中村均調教師にも打たれた。大学生のように若くてハンサムなトレーナー(史上最年少27歳で調教師試験合格)で、ローマンを自慢するのに実にふさわしいキャラクターだと思った。わずか数日で完璧にローマンにのめり込んだ自分が信じられないくらいだった。しかも金曜日の午後、大本命ダイアナソロンの厩務員に王妃の弱点(前肢球節の不安)を打ち明けられたのだ。

 

 ショータイムが近づいた。パドックで、晩春の陽光がローマンの肌をカユマンギーに染めるのを発見した。体じゅうの血が沸騰した。もはやためらうことはない。有り金すべてをローマンに捧げるのだ。その日は幸か不幸か5万円ほどの資金が20数万円に増えていた。

 まずダイアナソロンを消した連複5万円を買い、次に単複売場に移動した。当時の東京競馬場は連勝のほかに単複売場が単独にあり、しかもそれぞれが別の窓口になっていた。はじめに右側で9番の単勝を5万、隣で複勝を10万買ってから、とっさにサラにビンボー馬券をプレゼントすることを思いついた。ポケットを探ったそのとき、長身の美女(長田渚左さん)にポンと肩を叩かれ、微笑みかけられた。美女と会話の併せ馬をしながら数歩動いたときに、締め切りのベルが鳴った。あわてて窓口に手を突っ込む。

 「9番(複)を1万円!」

 サラ! サラ! ローマン!、ガルシア!

 カバヨ!! ババエ~!!

 、

 喉から血が出るほど絶叫したのは言うまでもない。単勝(20.5倍)が5万。複勝(5.2倍)が10万プラス1万…。払い戻し窓口で馬券を確認したら、なんと最後の1万円が複勝ではなく単勝になっていた。美人キャスターと立ち話しながら単勝売場に戻っていたのだった…。

 その単勝馬券は払い戻しせず、そのままそっとサラに手渡した。友達5人とポークステーキくらいしか食べられない金額と偽って。それ以来、サラとは一度も会っていない。いまごろどこで、どうしていることやら。 

 ああ 春や春、春東海のローマンス

佐藤洋一郎(さとう・よういちろう)

 サンケイスポーツ記者。早大中退後、様々な職を転々とするなかサンスポの読者予想コンテストで優勝。71年にエイトの創刊要員として産経新聞社へ。サンスポの駆け出し記者時代に大橋巨泉の番記者に抜擢されたのが大きな転機に。季節・馬場・展開の3要素を予想に取り入れ数々の万馬券をヒットさせ、鬼才と呼ばれる。

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