2015.2.28 05:06
競馬界に衝撃が走った。日本中央競馬会(JRA)のトップジョッキー、後藤浩輝騎手が27日、茨城県阿見町の自宅で死亡しているのが発見された。40歳だった。茨城県警牛久署によると、脱衣所で首をつった状態で見つかった。事件性はなく、自殺とみられる。
トップジョッキーに何があったのか。歴代16位となるJRA通算1447勝を挙げた後藤騎手が、自ら命を絶った。
牛久署によると、午前8時すぎに家族から通報があったため署員が駆けつけ、県警に依頼された医師が死亡を確認した。事件性はないと判断され、遺書などもなかったもよう。午前9時すぎに一報が伝えられた所属する茨城・美浦トレーニングセンターは一時、騒然となり、厩舎関係者は乗り替わりなど対応に追われていた。
後藤騎手は2012年に2度落馬し頸椎骨折などの重傷を負い、復帰後の14年にも落馬で頸椎を骨折。たび重なる首のけがで騎手生命が危ぶまれたこともあった。21日に東京競馬場で行われたGIIIのダイヤモンドSでリキサンステルスに騎乗した際に4コーナーで落馬。頸椎捻挫の診断を受けたが、翌22日には京都競馬場で騎乗し2勝を挙げていた。
23日に精密検査を受け異常がないことをフェイスブック上でも「一安心」と報告。その後、過去2回入院・リハビリしていた栃木県那須塩原市の塩原温泉病院に移動し、リハビリに励んだ。25日夜には宿泊しているホテルで歌謡ショーを楽しんだ姿もフェイスブックにアップ。週末の中山競馬では土日で15レースに騎乗する予定だった。
親しい関係者によると、26日の夕方に病院から帰宅した後藤騎手は、「家族で夕飯を食べるなど普段と変わらない様子」で、娘の珠々(しゅしゅ)ちゃん(1)をお風呂に入れた。先に家族が就寝し、夫人でタレントの麻利絵さん(36)が朝目覚めたときに寝室に姿がないため、探しにいくと脱衣所で首をつった状態だったという。
関係者は、「機嫌が悪い様子もなかったし、自殺するようなそぶりもなかった。思い当たる節がない」と話す。先週18日には福島県いわき市内の小学校で「夢」をテーマに授業を行っていた。関係者が話すように動機については謎に包まれている。
自宅には同期デビューで現在はJRA競馬学校の教官を務める小林淳一さん(41)や、師匠の伊藤正徳調教師(66)らが訪れ、突然の死を悼んだ。伊藤調教師は「先々週、一緒にご飯を食べたときは、何も変わった様子はなかった。奥様も周りも現実を受け止められていない状況です」と、沈痛な表情で話した。
葬儀は密葬で執り行われ、後日、東京でお別れ会が開かれる。明るいキャラクターでファンも多く、テレビのバラエティー番組でも親しまれた。競馬界一のエンターテイナーと呼ばれた後藤騎手が、どうして死を選ばなければならなかったのか。早すぎる死が、競馬界に与える影響はあまりにも大きい。
★3度目頸椎骨折から昨年11月復帰
後藤騎手は2012年5月6日、シゲルスダチに騎乗したNHKマイルCで、直線の残り200メートル手前で落馬。当初は頸椎捻挫と診断されたが、同日夜の再検査の結果、『頸椎骨折の疑い、頸髄不全損傷』と診断された。
事故から4カ月後の9月8日に中山で復帰したが、3Rで馬場入りの際に落馬。その後は騎乗していたが、16日の中山競馬で首の不調を訴え、17日の騎乗を取りやめた。18日に病院で検査を受けた結果、『第1、第2頸椎骨折、頭蓋骨亀裂骨折』と診断、入院した。
13年10月5日の東京競馬で約1年ぶりに復帰。しかし、14年4月27日の東京10Rでジャングルハヤテに騎乗した際、直線残り300メートル付近で落馬。再び『頸椎骨折』の重傷を負った。一時は引退も考えたが、厳しいトレーニング、リハビリを乗り越えて同年11月22日にカムバック。24日の東京5Rで復帰後の初勝利を挙げていた。
◆後輩で仲のよかった福永祐一騎手の話
「まだ信じられません。2日前まで連絡を取り合っていましたが、そんな気配はみじんも感じなかったです。詳細もわかりませんし、今は何と言っていいかわかりません」
後藤 浩輝(ごとう・ひろき)
1974(昭和49)年3月19日生まれ、神奈川県出身。92年に美浦・伊藤正徳厩舎所属として騎手デビュー。初勝利は同年4月4日(タイガーリリー)。94年の福島記念(シルクグレイッシュ)で重賞初勝利。96年には米国で半年間騎乗(7勝)。2002年安田記念をアドマイヤコジーンで制してGI初制覇。JRA通算1万2949戦1447勝。重賞53勝、うちGI5勝。